10月 教会長のお話

       信 仰 の こ こ ろ
  私ほど自己中心で、我の強い者はいない
年が進むにつれて、日々そう思うようになった。
若かりし頃は、自分ほど良い人間はいないし、
自分の力で何でも乗り越えられる!・・・ 
な~んて! 超~鼻持ちならない私だったのだ。
自分の思い通りにならないと、人のせい・周りのせいにしていることなど、少しも思っていなかった。
青年部活動にでるようになって、初めは目の前のことに一生懸命であったが、慣れてくると、「レベルが低いよな~」「あの人おかしい!」とまわりを観察し、自分を思いっきり “ 棚の上にあげていた ” のである。
だから、その当時の私は、友達もなく浮いた存在だったのかもしれない。(笑)

  奉職させて頂いて、ご縁を頂いたある方から、〔 河南さんて、悪者を作るのよね! 〕 と教えて頂いたことがあった。
初めはその言葉が呑み込めなかったが、当時、朝礼のあとの法座で “ 姑 ” の話をしていたことを思い出したのである。
30年以上同居している姑との葛藤は ・ ・ ・
(同居なんかしなければ・・) 後悔しながらも (親孝行の教えを頂いているのに) ・ ・ と、自分を責め (だから!同居しなければこんなに悩まなかったのに!) と、ずっと問答する日々であった。
研修をさせて頂いたときに、姑との話題をだしたら先ほどの方から、「 河南さんは、そうやって悲劇のヒロインになるのね 」と言って頂き、本当に私は
 “ 自分の内に原因を探さず、人のせい・周りのせい ” にしていたのだと痛感しました。
未だ完全にできず苦しむこともありますが、悲劇のヒロインにならないように、自分の内に原因を探す努力中です。

  会長先生は、10月のご法話で
人 間 と し て 生 き る ・ 後 ろ 姿 で 説 く ) と、頂きました。
自己を中心にして人やものごとを思いどおりにしょうとする意識を改め、人間特有の我欲や人を恨む心などから解放されれば、わだかまりがなくなり、ありのままを受け入れることができ、苦悩のない人生を歩むことができる。私たちは心から相手を思い、寄り添う、そういう姿勢が ・ ・ ・ 後ろ姿で説く 
( 
仏の願いを自分の願いとして歩むことを誓願しているのですから、人を思いやり、素直で謙虚に日常生活を送ることこそ、私たちにとって大切といえるのです。 と、お示し下さいました。

  自分を内省し、思いやりのある素直で謙虚な自分作りの10月でありたいと思います。
                                          合掌
                        
                              姫路教会長 河南 有紀