5月度 教会長のお話

 5月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

 今月は、『楽しく生きる』というテーマを、

 

〇 どちらが楽しいか  〇 「中道(かたよらない)」が大事 

の2段階でご説明いただいた。

 

 まず、『どちらが楽しいか』の段落では、

 

 本会の年中行事である「寒中読誦修行」の期間中雪が降り積もり、道場に足を運べない数多くの方がおられ、東京でも交通機関が停滞するほどの降雪があり、その時、大聖堂でこんな声を聞いた人がいました。

「人がせっかく寒修行をしているのに、どうしてこんなに雪が降るんだ!」。早朝に家を出て、自動車やバス、電車で参拝する人にとって雪は困りものですから、グチが出るのも当然かもしれません。

 一方で、ある人はつぎのような声を耳にしています。

「雪のおかげで、ほんとうに寒修行らしい修行をさせていただけて、ありがたい!」

 さて、みなさんは、どちらの見方をする人が、楽しく生きられると思いますか。私は、後者に軍配が上がると思います。

けっして、むずかしいことをいっているわけではありません。

ただ、天地自然の変化を素直に見て、それをありのまま受けとめているところがすばらしい。

しかも、素直に受けとめているだけなのに、自分にもまわりの人にも、寒さや眠気を吹き飛ばすように感じさせるのはなぜなのでしょう。

 それは、ものごとを「正見」で見るか、どうか、その違いだと思います。

 

 『「中道(かたよらない)」が大事』の段落では

 

 仏教で説く「八正道」の「正見」は、「正しい」という言葉の語感から、容易にはできないこと、悟った人だけが会得できることのように思いがちです。

「正見でものごとを見る」というと、「それは無理だ」と即座に反応する人もいそうですが、先の雪の日の例のように天地自然のはたらきを素直に見る ―― それが「正見」ではないでしょうか。

 

 また最近、心臓の手術を終えて退院された方が、「これまでは、心臓が動いていることに感謝したことなどありませんでした。でも、それは当たり前ではなかったんですね」と、しみじみ話してくれました。「ああ、これが正見なのだな」と、そのとき私は教えられた思いがしました。

 自分の意思とは関係なく、心臓が休みなくはたらいている。

その自然の摂理を直視し、爽やかな感動が病気の不安をかき消して、いかにも気持ちが楽になった様子が、その表情から見てとれたからです。

そして、いま・ここに生きているという事実を「正見」で見れば、病気もまた、ありがたいことと気づくことができる感謝の対象であると、あらためて教えていただきました。

 

 「諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)・一切皆苦(いっさいかいく)」という、この世の真理に照らしてものごとを見る。それが、「苦を滅する正しい道」として教えられる「八正道」の、最初に説かれる「正見」です。

それは、仏さまの教えに則って生きる基本であり、またすべてということができるかもしれません。

 

 ただ、快楽に溺れて苦しむことなく、苦行や禁欲に縛られるのでもない「中道」の生き方を教えるのが仏教ですから、実践が困難では意味がありません。

そこで、「正しい」という言葉の意味あいとあわせて、いましばらくの間、みなさんとともに「八正道」を学んでまいりたいと思います。
 

 と、締めくくられた。

 

 

 4月は、『 円満な人になる 』というご法話をいただき、釈尊のような ❝ 悲智円満(ひちえんまん) ❞ が身についてくると、妙好人のようなものの見方(または、❝ コップの水の見方 ❞ )ができるようになる、そうすると人生を楽しく生きていける。

 今月は、4月の続きとして、「円満な人になる」ために、「楽しく人生を生きる」ため「八正道」の最初の「正見」を身につける精進から始める

そのためにも、「中道」という意味と、「正しい」という意味をしっかりと学ばせていただきたい。

 

 

 

                                                                      合掌

 

                                                               立正佼成会 姫路教会

                              たかとし

                         教会長 吉 田 高 聡