令和3年2月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、文末に感じたことを書かせていただきます。
今月は、『人さまに喜ばれる人に』というテーマを、
○ 「神力」とは何か、 ○ 人に喜ばれることが「うれしい」
の2段落でご解説いただいた。
まず、『「神力」とは何か』の段落では、
人知(じんち)を超えた不思議な力のことを、よく「神通力(じんづうりき)」とか「神力(じんりき)」といいますが、私たちは、それを「自分には身につけられない特別な能力だ」と思っています。
たしかに、仏教の経典にも「あらゆるものごとを見とおす」とか「全身の毛穴から美しい光を放って世を照らす」といった神秘的なことが神力として説かれますから、そのように思うのもうなずけます。しかし、私たちにできないことを、釈尊(しゃくそん)は説かれないと思うのです。だとすれば、経典にある神通力とか神力とは何を意味するのでしょう。
私は、人間にとって最大の神通力は「心」をもっていること、と受けとめています。言葉を換えれば、人間の「心」の力やはたらきが神通力だということです。考えてみると、心があるからこそ、私たちは人の気持ちがわかります。人が何を求めているのかも理解できます。もちろん、釈尊が悟られた真理を認識できるのも、心があるからです。
開祖さまは「大乗の教えによって真の意味の智慧(ちえ)をもつようになれば、それで神通力を得たのと同然」といっていますから、特別な能力が神通力というよりも、人を思いやったりする日ごろの心のはたらきが、神力といえるほどの力を発揮するということです。たとえば、仏の教えを知り、寄り添ってくれる仲間の支えで「生きながらにして生まれ変わった」という人が本会にはたくさんいますが、ときに不思議としかいいようのない結果や心の転換が起きるのも、私たちの心があらゆる可能性に満ちているからです。
殺人鬼のアングリマーラ(鴦掘魔(おうくつま))が、釈尊のいたわりとお導きによってすぐれた仏弟子となった故事(こじ)も、その証の一つでしょう。「神力」とは、一つには人を思う「まごころ」であり、そのはたらきが生む力をいうのです。
『人に喜ばれることが「うれしい」』の段落では
「神力」について、いま述べたような話をしていたとき、「佼成会は、まごころという『神力』を発揮する人でいっぱいですね」といった人がいましたが、ほんとうにそのとおりだと思います。なぜなら、法華経(ほけきょう)の「如来神力品(にょらいじんりきほん)」によると、神力は人びとを喜ばせるためにあらわすものだからです。「衆生(しゅじょう)を悦ばしめんが為(ため)の故(ゆえ)に 無量(むりょう)の神力を現じたもう」とありますから、私たちが人に明るく、やさしく、あたたかく接することを大切にして、人さまのために心をくだき、思いやりを実践に移すことで少しでも喜んでいただけたら、それが神力の発揮にほかならないのです。
ところで、アンパンマンなどの漫画でおなじみのやなせたかしさんが「いちばんの/よろこびは/ほかのひとを/よろこばせること」(『もうひとつのアンパンマン物語』PHP研究所刊)と記しています。そのうえで、人は人を喜ばせることがいちばんうれしい、人生で最大の楽しみは人を喜ばせることといわれ、漫画家になったのも「全力をつくしてひとをよろこばせたかった」からと綴っておられるのです。それを読んだとき、私は「この方は漫画をとおして人を喜ばせる菩薩(ぼさつ)さまなのだ」と感じ入ると同時に、人に喜ばれる生き方を心がけていれば、だれもが自分のいる場所で菩薩になれることを教えていただく思いがしました。
以前、たとえ寝たきりの人でも、その笑顔や感謝の言葉で人を喜ばせることができるとお話ししましたが、それも大きな神力であり、菩薩のはたらきです。
そうして法を身で説く人は、「無量の菩薩をして 畢竟(ひっきょう)して一乗(いちじょう)に住せしめん」と「如来神力品」は結んでいます。私たちは、みんなが仲よく生きる世界を築く一人ひとりなのです。いつでもまごころをもって、人さまに喜ばれることを喜びとする人でいっぱいの本会でありたいと思います。
と、締めくくられた。
1月号では、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の合掌、礼拝の姿勢を学び、「善いことを、心をこめて、繰り返す」実践の大切さを教えて頂きました。
今月は「神力品」を通して「神力」とは、人を思う「まごころ」であり、そのはたらきが生む力とお示しいただきました。「神力」は人々を喜ばせるためにあらわすもので、私たちが人に明るく、やさしく、あたたかく接することを大切にして、人さまのために心をくだき、思いやりを実践に移すことで少しでも喜んでもらうことの重要性をご指導いただきました。
教会が、そのような「神力」をあらわす人でいっぱいになるように、その人たち(菩薩)が育つ苗代(なわしろ)となれるよう、お互いを合掌、礼拝し、まず自らが喜びをもって今年も精進いたしましょう。
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡