9月のお話 ・・・・ 姫路教会長 河南有紀

    『 実 は 、 私  ・ ・ ・ 』

実は、私 河南!見た目のダイナミックさに反して、(ダイナミックな見た目—- ってどんなんだろう? と思われるかも知れません・・・気になる方は、姫路教会まで足をお運び下さい!!)ガラスのような心臓の持ち主だそうです。
親しい友人から、そのようによく言われるのです。

自分では、みんなが躊躇するような事にも平気で飛び込んでいったり、目上の方にも 「おかしい!」 とまわりの人がハラハラするような大胆発言をしていると自覚していたので、友人に言われる度に他人事のように 「へ~そうなんや」 と不思議に思っていました。

しかし、初対面の人や事柄には、シャイなところもあり・・・(笑)、自分で自分自身がよく分かっていないのかもしれません。

 話は変わりますが、私 河南!の相反する二つのちょっとした体験です。

一つは、大阪教会支部長時代に、お当番のご供養後の法座で、他支部の方にお礼を言われました。
「河南支部長さんのお陰様でうちの長女は救われました」。 そのお母さんの横にニコニコ笑って、娘さんらしき人が座っておられました。
私は、戸惑いました・・・ それは、その方のお顔は知っていましたが、何一つそのような記憶がなかったのです。 以前、私が法座主の時に、その娘さんがご主人と別れたいとのことを出されたそうです。
その時に私は 「悩みながらもよく今まで頑張ってこられましたね!」と言ったそうです。  そう、 そうです という表現の通り・・・本当に覚えていないのです。
そして、そう言われたことでその娘さんは、〔 自分のことを分かってくれた!もう一度がんばろう!〕と思われ、その後ご主人に心からやり直したいと頭を下げ、すっかり夫婦仲良くなって、この度主人の転勤で大阪を離れる挨拶に来て下さったとの事でした。

もう一つは、主任時代のことです。
仲良しの主任さんから、ある日「話がある・・・」との事。
話の内容は、以前私が法座主の時、その主任さんが息子さんのことの悩みを出したところ、「あなたの今までの生き方ですね」と言われたことが、絶対に許せない!と思われたそうです。
「仲良しやから、墓場まで持って行こうか!と思っていたけれど、今、息子さんのことで悩んでいるあなただから、言えると思って・・・」
そして、「河南さんは、時々ドキッ — とすることを言うからね」と言われ、本当にびっくりしました。
全然身に覚え(意識)のないことでしたので・・・・・。

 年齢・お役の違いはありますが、時代が変われど同じ私の口から発せられた言葉・・・・、意識なく何気ない言葉で喜ばれたり、傷つけていたり・・・・。

9月の会長先生のご法話の中に 、

どのような言葉が大事かではなく、

 どのような自分がその言葉を発しているのか。

 人が信ずるに足る言葉とは、

 発するその人がどのような生き方をしているかによります。

とありました。

 知らず知らずの何気ない言葉にも責任を持ち、いつも謙虚であることを忘れず、一人でも多くの方に寄り添いながら、喜んで頂ける私でありたいと思っています。
                                   合掌