姫路教会発足51周年記念式典

姫路教会発足51周年記念式典が4月1日に開催されました。
少年部、学生部のみなさんによる奉献の儀があり、河南教会長お導師による読経供養、Nさんの「説法」、鈴木布教相談役さんのご講話、そして河南教会長さんのあいさつがありました。 


加古川第一支部 Nさんの説法(主旨)   

昭和26年、Nさんが4歳の時大やけどを負う事故があって、その年12月に佼成会に入会されました。お母さんはNさんが小学校へ入学しました頃から毎日夜遅くまで布教に出かけました。お陰で、右耳が聴こえなくなったことも腕に火傷の痕が残っていることも全てを含めそれが普通の自分であると思い、自然に生活していく事が出来ました。Nさんは小学生のころから、夜遅くまでお母さんの帰りを待ちながら一人で過ごす鍵っ子生活が5~6年続きました。その後、姫路教会発足に向ってお父さんもお母さんと一緒に、幹部さんと必死で布教をしていました。両親の修行のお陰で、何のわだかまりもなく、その後高校・大学と進学し、卒業後社会人になることが出来ました。

社会人時代には仕事中に困難な場面にも行き詰った時も、両親の励ましと仏さまを信じて乗り越えてきました。

Nさんは、奥さんの大きな内助の功もあってお陰で42年の会社勤め全うし、2年前40年ぶりにご法活動復帰しました。

自分が今まで頂いてきたはかり知れない功徳を今度は子供・孫に継承できるよう、ご法活動に精進することを「誓願」されました。


 
鈴木布教相談役さまより講話を賜りました。

今年は「平成の大改修」が完成してグランドオープンした姫路城が全国から注目を受け、昨年は「軍師 黒田官兵衛」が放送されるなど、姫路は全国的にクローズアップされていて、姫路教会創立51周年の年は、100周年に向かっての新たな一歩踏み出すにふさわしい年であること。


過去は活かすもの、未来は生み出すもの、そして今をどう生きるかが大切であり、開祖さまの恩を忘れず、命の使い方を教えていただき、今を精いっぱい生きることが大切である。


僧迦の温かさ・素晴らしさを一人ひとりにお伝えしていく。さらなる一歩を踏み出し、布教に取り組むこと


手取り、布教で大事なことは、お役の立場で接するのではなく、信頼関係で接することが大切であること。

有難いことは有難いと感じ、感謝は言葉に出して表わすこと。

仏さまのおかげ、常に仏さまに見守られ、護念されている。徳を積みながら愚痴を言っていると何もならない。感謝しながら、喜んで徳を積ませていただくと仏さんに喜んでいただけ、徳を積み重ねていくと魂が浄化され、人格が整い、仏さまの尺度で物事が観えてくること。善いことを心をこめて喜んで繰り返してさせていただくこと。    「道風徳香一切薫じ身についてくる。」

提婆達多品に曰く、「無量劫に於いて難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾って止息したまわず。」

こうした佼成会会員が増えれば、地域が浄化され、寂光土が実現する。開祖さまが言われように、「地域一割のお導き」に布教伝道すること。   等々

100周年に向かって、私達が布教・伝道する心構えを教えていただきました。


さらにそのあとの大法座では

人はそれぞれ持って生まれた徳分がある。チャームポイント・・・・。自分の長所を最大限に生かして、失敗を恐れず、失敗を次の成長の糧にするように。誉められる言葉からは何も学ぶものはない。

自分の都合が物事を見る尺度になっていないか。(好都合か不都合か・善か悪か・損か得か・) 目的は人格完成であり、失敗、悪条件から学ぶ。仏さまの願いを持って歩んでいく。お役は、自分が仏になるための道であり、一瞬一瞬を喜ぶ。与えられた条件をありのまま受け、感謝する。

年配者は財力、智慧、人生の経験を持っている。地元を拠点に活動すればよい。それがその地区の財産となる。人それぞれの価値を見出す。出てくる現象はベストの形で出てける。地域の特質に合った活動を考えることが大事である。
調和法座は安らぎを与える場である。出てくる現象はすべて調和のとれた、ベストの形で出てける。内在するその人の良さを引き出す。過去を引きずっていると善悪でものを診てしまうので、心を空にして、話される人に寄り添って話を聴かせていただく。
その場の一瞬の出会いでその人の思いをキャッチすることが大事である。等々

こと細かくご指導を頂きました。


最後に教会長さんの挨拶がありました。
鈴木布教相談役さんへのお礼の言葉を述べられた後、
歴代の教会長さん、先輩幹部さん、会員さんの精進のお陰で、今私たちは修行させていただけることに感謝して、100周年に向かってのさらなる精進を呼び掛けられました。

合掌