布施に生き 『 随所に主となる 』!
私自身、一人の信仰者としての修行の指針としていることが、いくつかあります。
今月の会長先生のご法話の中で、「随所に主となる」 「一隅を照らす」と自分自身の指針としているものが二つも出て、大変身が引き締まる思いです。
「随所に主となる」という言葉を初めて聞いたのは、恥ずかしながら30歳を超えたころです。
当時の正教師という研修で、39期生の京都教会での出会いの中、京都教会の教会教務員さんが、「私の座右の銘は “ 随所に主たれ ” です。至りませんが、委員長をさせて頂きます」という誓願をされた時が初めての出会いでした。
「“ 随所に主たれ ”ってな~に?」と思う中、その方は見事に、積極的に主体的に動かれ、その姿は本当に神々しく、輝いていました。
身を持って学ばせて頂き、私の座右の銘にこっそりさせて頂きました。
「一隅を照らす」といえば、やはり一番に『開祖さま』を思い出します。
母方の伯母が亡くなり、実家の母と新幹線の新大阪の改札で待ち合わせをしていた時です。
当時の大阪普門館の職員さんが突然私の前に現れ「河南さんどうしてこんな所にいるの!誰かに聞いたの?」と当惑された様子でした。
事情を話すと「本当は、内緒なんだけど、今から会長先生が来られるけど、絶対に近寄らないでね」と言い残され、その場を立ち去られました。
ほどなくして、降車場の方からパーッと明るく輝いたと思ったので、びっくりして見ると!そこには開祖さまが!!私は思わず息子を抱きしめ、開祖さまに向かって一目散に駆け寄っていました。
満面の笑顔でこちらに歩み寄って来られ、息子の頭を撫でて下さり
「いい子だね」と何度も言ってくださいました。
あれから幾度となく新大阪の新幹線改札を利用しますが、あれほど明るかったことは・・・それきりです。
たった一つの尊いかけがえのない命を、今置かれている場所でどのように使うのか ・・・魂を清め、調和のとれる私になること・・・
一隅を照らす! にはまだまだほど遠いですが、
目の前のことにベストをつくし、布施の心で、
布施に生きる無名の一人として、
陰徳をつむ精進をさせて頂きます。
合掌
姫路教会長 河南 有紀