終戦記念日の8月15日、立正佼成会姫路教会では
“ 戦争犠牲者慰霊 ” “ 平和祈願 ” の式典が執り行われました。 姫路を中心とした播磨地方では、従軍され戦没者となられた英霊の方々とは別に、空襲による被災を受けられた方々が多数おられます。
姫路空襲は、昭和20年6月22日午前、軍需工場がありました姫路城の東部、京口地区を中心として約1時間爆撃を受け、341名の方が亡くなられました。
2回目の空襲は、7月3日の深夜、約2時間姫路市全域に焼夷弾を投下され、173名の方が亡くなられました。
この2回の空襲で、被災に合われた方は55,402名にも達しました。
そしてこの空襲の時に、皆様方があまりご存知のない「奇跡的な出来事」がありました。
それは、姫路市内に投下された焼夷弾の一部が姫路城の天守閣に命中した時、焼夷弾が発火せず火災による焼失から免れた事でした。
もし焼夷弾被災により、姫路城天守閣がなくなっていたら・・・
国宝そして世界遺産である日本一の名城(しらさぎ城)が、この世に存在していなかったのです。
そして、今の姫路を中心とした播磨地方の繁栄もなかったかも知れません。
続きまして、姫路東支部のKさんによる「戦争体験」の発表がありました。
Kさんは戦闘が激しくなってきた昭和20年、通信兵として中国への派兵を命じられ200名の兵隊と船で中国へ向かっている途中、戦闘機の攻撃をうけ、機銃掃射により隣の仲間が亡くなったこと、そしてその後魚雷により乗っていた船が沈没。Kさん本人も船と一緒に海底まで沈み、海底で尻餅をついたその反動で浮上し九死に一生を得たことを話されました。
この時の戦闘で、200名のうち生存者は90名だったそうです。
河南教会長さんのお話
終戦記念の日、そして先程のKさんの体験談にちなみ、不戦についての お話がありました。
・最近の戦争に導く政治を皆さんと共に阻止しましょう。
・投票年齢の制限低下に伴い、もっと政治に関心を持ち、開祖さまの大きな理念であった「政治を正そう」。
・(開祖さまの法話より)自と他の間の感謝に気づき、そして差別心・愚かさを戒め、平等への真実心を持ちましょう。
・・・・とお話を頂きました。
最後に、少年部が計画・実施してきた「夢ポッケ」のプレゼントが114個も作成出来ました。
それを、十数個のダンボール箱に詰め込まれその発送式が、教会長さん・皆さんが見守る中行われました。
合掌
(文責:メディア布教担当 Y.N)