軽んじない
30歳を過ぎた頃地区主任のお役を頂きました。
息子が幼稚園にはいる頃にも声がかかってその時はお断りしていたので、断ることもできず、わけのわからないままのスタートでした。
「今度の主任は、(かんなん)と聞いていたから、ばあちゃんと思ってたら!嫁の方か!」
それが、地区のA組長さんとの出会いでした。その出会いは私にとって強烈で、Aさんは(怖い人!)という印象が強く残りました。
それからというものは、ことごとく修行の日々でした。
あるご命日・・・いつもは9時のご供養にキチンとはいっていたのですが、その日は、少し遅れてはいっていました。
式典後の法座でそんな時に限って支部長さんが「皆さん、今日は9時までにはいりましたか?はいった人は手を挙げて下さい」と言われるのです。
ドキッとしながらも見栄体裁の強い私は、小さく手をあげました。
法座後、支部長さんにお通しをするため、部屋に行くとその組長さんと話をしているところでした。
支部長さんは私を見るやいなや「今日9時に入っていないのに!嘘ついたってなあ!(← これ、大阪弁[編集者注釈])」と大目玉でした。
組長さんは知らんぷりして私の横をす~っと横切るのです。(本当に嫌な人!)・・そのことで自分の心はますます頑なになっていきました。
ある研修で(どんな人も仏さまと同じ心をもっているのです。)と教えて頂いたとき、とっさに(A組長さんはない!)と心の中で思った瞬間(自分から見て一番仏さまに見えない、と浮かんだ人の好いところを一つ見つけてみましょう)という宿題を頂きました。嫌な宿題をもらったと途方に暮れました。(笑)
元来まじめな!私は(知っている皆さんは笑わないで~)、それでもA組長さんの良いところ探しを始めたのです。
ある日、A組長さんが初めて「主任さん聞いて下さい」とこられました。
子供さんのことでした。主任と認めていない私にお役をたてて、必至で子供さんのことを話されるAさんをとおし、(怖い人ときめつけていたけれど、子供さんにとって良いお母さんなんだな・・)はじめてAさんの温かさに気が付いた瞬間でした。
その後も修行は続きましたが、(この人は、温かい人なんだ!)とそこを拝ませて頂きながら、今思えば生意気な新米主任の鼻っ柱を思い切り“ポキッ”と折って下さり育てて頂いた仏さまだったのだと心から感謝しています。
11月の会長先生のご法話は 『 軽んじない 』 です。
(合掌・礼拝に徹した常不軽菩薩に倣い、朝には「合掌・礼拝の心で一日をすごそう」と誓い、夕べには「私はきょう、人を軽んじなかっただろうか」と省みて、明日に向かう。このような地道な実践が、平和な生活の基本であると私は思います。)と頂きました。
今月は、親しい間柄でも「お前」などと呼ばない ・ 敬語を使い、ていねいに話をする ・ できるだけ長所を見て、それを称える ・ 合掌礼拝の精神を忘れず、 調和のとれた人間関係を築いていけるよう、目の前にいる人を「仏の御いのち」と観ているか内省させて頂く、11月でありたいと思います。
合掌
姫路教会長 河南 有紀