私心を去る
会長先生から、三つの実践を教えて頂いた時「そんな簡単な事、だれでも出来るやん!子供じゃないのに(笑)」と、何だかバカにされたような気持になったことを今でも覚えています。
今以上に我の強い驕慢極まりない、当時の私らしい受け止め方でした。
しかし!いざ意識しだしてからの私は、頭の打ちっぱなしの日々でした。
? 朝のあいさつ
? 「はい」の返事
? 履物を揃え、椅子をいれる
挨拶もできているし・・・、人に呼ばれたら鶯(ウグイス)のようなきれいな声で「はい」と返事をしているよな・・・、
そして・・・履物、椅子は大丈夫!
まず一番に「あれっ?」と思ったのは、病院の散乱していたスリッパを目の当たりにした時でした。
家では主人の父がきれい好きで履物が散乱しておらず、勘違いしていた私は、自分ができていると思っていました。
しかし、病院のスリッパを整えながら・・・
「どうして私が!こんなことしないといけないの?掃除のおばさんの仕事を取ることにならないのかな?病院のスリッパやから、何かの菌がついててうつらないかな?・・・」と、不平・不満の気持ちでいっぱいになりました。
? できている ?と思っていたことが、根底から崩れた瞬間でした。
こんな情けない自分に気づいた時、? やっている! ?? できている! ?? 分かっている !?と、思い上がっている自分が少しずつ見えてきたのです。
履物や椅子は、人間ではない(当たり前ですが)ので、まだ何とかなったのですが・・・、朝のあいさつ「はい」の返事で大きくダメージをうけたのです。相手がいることですから(泣)。
『あいさつ!』・・・
私の機嫌の良いときは、「おはようございます~」と明るい声で・笑顔で言っているのですが、虫の居所が悪いとき、まして、嫌いな相手や喧嘩した時などは、(見ないふり・隠れる等をして)全然できていなかったのです。
姑が「浩子さん」と呼んでも、「はい」どころか無視したり、主人に呼ばれても家事で手が離せないとき、「はいはいはい」と低い呪われたような声で返し(笑)腹の中では(あなたの親のごはんの支度で忙しいのよ!自分のことは自分でしてよ!)と思う始末・・・。
こんなこともまともにできていなかったのか・・・。
意識すればするほど、しんどくなってきました。
いつでも・どこでも・誰にでも・どんな時でも、一つのことを続ける大変さと大事さを痛感させられました。
会長先生、本当に申し訳ありませんでした!
そして、大事なことを教えて頂いて有難うございました。
2月15日は涅槃会です。
佼成2月号会長先生ご法話【私心を去る】の中で、
「涅槃とは『煩悩が吹き消された状態』を意味しますが、それはけっして私たちとかけ離れた世界のことではないと思います」
そして、
「無心の心で、呼ばれたら『はい』と返事をし、ものごとを『おはからい』と素直に受けとめ、人の心に寄り添い、話をよく聞いて相手を思いやるような、穏やかで安らぎに満ちた日常にこそあるのです。」
と、お示し下さっています。
よいことを真心こめて繰り返す・・・
今月は、いつでも・どこでも・誰にでも・どんな時でも、呼ばれたら明るく「はい」と言います。
「河南さん!」 「はいっ!」
合掌
姫路教会長 河南 有紀