祈りの先に
私はお手取りが大好きです。
地区主任時代こんなご縁がありました・・・。
ある方から「娘が河南さんの近くやから、手取りに行ってほしい」と。
なにか問題があるとのお母さんの切実さに心打たれ、「娘には〇日の〇時頃に主任さんが来ると伝えておくから ・ ・」 という言葉を胸に、遅れないように住所を頼りに娘さんの住むマンションを探し当てました。
意気揚々とチャイムを押しました。 ・・反応なし・・
(手が離せずに時間がかかっているのかなあ) と、
もう一度鳴らします。 ・・反応なし・・
日を間違ったのかと手帳を確認すると間違っていません。娘さんに急用ができたのかもと、その日はメモに来たことを書き残し家に帰りました。
後日、お母さんの口から居留守をつかわれていたことが発覚し、私の手取り修行のゴングが鳴ったのです(笑)。
この方とのご縁が後に大きな宝を頂くことになったのです。
ひと駅向こうの娘さんのマンションへは、自転車で行っていました。小高い丘にあるので皆さんご想像通り、行きは自転車を押して行くのです。暑い時も寒い時も、ひたすら自転車を押して通いました。
はじめは、お母さんの切実さに答えようというキレイな気持ちでしたが、何度行っても反応がありません。
そのうちに 「 坂を上がって来てるのに! 返事くらいしてよ! 」と腹が立つ始末(笑)。 支部長さんにご指導いただき、気持ちを立て直してまたチャレンジの日々でした。
初めて・・1ミリほどドアーが開いた時の感動は!今も忘れられません!
そして、ドアーが全開になって家に上がらせて頂いたときは、大げさですが涙が出そうでした。
その間、お通しの大切さ ・ 相手の仏性を信じること ・ 仏さまのはたらき ・ ・ その方の手取りをさせて頂いたお陰様で、多くの学びを頂きました。
私のお手取りの原点になっています。
その後、強力な方々に出会いましたが、強力であればあるほど!闘志がわき!「よ~し、やってやるぞ!」と相手に怒鳴られようが嫌味を言われようが、手取りの原点の体験があったお陰様で、いつか善き縁となる日を楽しみに、ルンルン気分でまわらせて頂きました。
手取りのお供に一人の時は好きな音楽を聴きながら ・ ・又、乗り物の中では三部経を黙読したり、本を読んだり、お供修行のときはその方との話から学びあったり、お茶をしたり ・ ・等、楽しかったことは無限でした。
いつの間にか手取り修行のトリコになっていました(笑)。
知らず知らずのうちにお役のお陰様で、行学二道の修行をさせて頂いていたのですね。
10月の会長先生のご法話は 《祈りの先に ・・・・・》 です。
(祈りとは) の中で
開祖さまは、『神仏に祈るだけではなく、仏法すなわち真理に随順した生き方を目ざす』のが信仰であると明言されたことにふれられ、
会長先生は
「仏法を信じて身につけ、自分が仏になる、自分が仏であることに気づく・・。仏教の信仰はその方向にあるということです。そもそも、自分が仏であると気づけば、神仏やほかのだれかの力を恃(たの)み、「救ってください」と祈ることはなくなります。それが、自灯明(じとうみょう) ・ 法灯明(ほうとうみょう)の教えに基づいて生きていく仏道というものであります。」
(信仰を深める契機に) では、
さまざまな修行もすべて仏の願いに気づくための、方便であり、
「お願い参りも祈りも、それら神仏と向きあう機会はすべて、仏さまが「大切なことに気づくように」と願って与えてくださった契機です。そのことをよくかみしめて、日々の暮らしのなかでともどもに信仰を深めてまいりましょう。」
とお心を頂きました。
お手取り修行のお陰様で、仏さまの願いに少し近づかせて頂いていたのだなあと、確信させて頂きました。
今月は!
日々の暮らしの中で、信仰を深められるように、
?身近な家族に喜ばれることをさせて頂く。
?苦手で行きにくいところや、一度も手取りに行ったことのないところに行かせて頂く。
そして・・・
仏さまを観じ、開祖さま・会長先生のお徳を感じられる10月でありたいと思います。
合掌
姫路教会長 河南 有紀