6月号のご法話を拝読させていただき『愚痴をいわない』というテーマを
① 「知っている」という思い込み・・
② 道理がわかれば ・・・・・・・・ の2段落でご解説いただいた。
今月は、『「知っている」という思い込み』の段落で、私たちが陥りやすい、自分の(知っていること)(思っていること)(考えていること)が「絶対に間違いない」という錯覚……もう少し突っ込むと、増上慢が愚痴につながっているのではと感じた。
そして、その増上慢という言葉から、勧持品第十三の二十行の偈にある「三類の強敵(ごうてき)」を思い起しました。
二十行の偈とは、法師品で布教伝道への誓いを立てた法師が「衣座室の三軌」の実践を誓うものと解釈されています。
法華経を人に勧めるには、まず自分自身に固い決心が出来ていなければならない、しかし、次のような相手にも教えを伝えられるか・・・・・
『俗衆(ぞくしゅう)増上慢』 「法華経」とはどんなものかをのぞいた
こともないくせに、無責任に悪口をいっ
たり迫害を加えたりする普通の社会人。
『道門(どうもん)増上慢』 宗教専門家であって、自分の信じる教え
だけが絶対だとし、「法華経」をののし
ったり、そのひろまるのをじゃましたり
する人びと。
『僭聖(せんしょう)増上慢』 いかにも聖人のように行い、すましては
いるけれども、内心は名利の念にとらわ
れている宗教家。
以上が「三類の強敵」であるが、こういう強敵にもけっして退転することなく、「法華経」をひろめようとする姿勢を、会長先生は促してくださっていると思います。
また、この強敵は、実は自分の内にもあることも自覚しなければならないとも感じた。
それが、「知ってる、分かってる、やっている」という勘違いに陥っていることにも気づかないでいるとしたら申し訳ないことである。
「道理がわかれば」の段落で、愚痴をひかえるには、『愚痴多き者には智慧の心をおこさしめ』という経文の一節から、「真理の道理」を知ること、つまり、真理にそったものの見方・受けとめ方に立ちもどることが重要であることを確認した。 合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡