7月号「佼成」のご法話を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。
今月は、『相手を認め、讃える』というテーマを
① 「いのち」を讃歎する ・・・・・
② ノウハウや言葉ではなく ・・・・・ の2段落でご解説いただいた。
まず、『「いのち」を讃歎する』の段落で、「讃える」の一般的な意味は「讃嘆」と書き、「人のすぐれているところをほめること」「深く感心してほめること」と解するようだが、それは、相対的・表面的なとらえ方のようで、仏教では「讃歎(さんだん)」・・・「仏・菩薩の徳をほめ讃えること」と教えられている。
釈尊がどれほど罪深い人(提婆達多のような人)に対しても讃えることを忘れなかったのは、相手に仏・菩薩の徳の輝きを見ていたからにほかならない。
仏法を学ぶ私たちにとって、人を認め、讃えるとは、相手の「いのち」を讃歎することと教えていただいた。
そして、『ノウハウや言葉ではなく』の段落では、開祖さまとのエピソードをご紹介いただき、開祖さまの行動を通し、その経験から、相手を認め、讃えることについて大切なことは、けっしてノウハウや上手な言葉ではなく、自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う気持ちに尽きると教えていただきました。
①段落での『相手の「いのち」を讃歎すること』、②段落での『自他のいのちの尊重と、相手の成長を心から願う』実践が、6月号に続いて、布教伝道の大切さ、特に『徹底した仏性礼拝行』の大切さを、促していただいていると受け止めさせていただいた。
そう思わせていただくと、立正佼成会の行法は、昭和20年10月13日のご
下記※① 下記※②
啓示で、「本会は常不軽菩薩のようにあらゆる艱難と杖木瓦石にも耐えて
下記※③
修行し、一切のものの仏性を開顕するために礼拝を行ぜよ」とお示しいただいている。
下記※④
これからの布教伝道の具体的な内容は、常不軽菩薩の ❝ 但行礼拝 ❞ に徹していくこと ではないかと決意させていただいた。
合掌
◎「仏性」とは (新釈8巻 p45.14~p46.7 参照)
①<仏の本性>という方向から見た場合
仏の本性は、哲学的に言えばこの世のあらゆるものをつくりあらわ
している根源の力<空>であり、宗教的に言えば、あらゆるものを
存在させ、生かしている<宇宙の大生命>である。
②<仏になりうる可能性>から見た場合
真理を悟った完全な人間になりうる可能性。
「世の中を明るく、平和にするには、自他の仏性を認めることがほんと
うの出発点であり、最も基本的な道である」
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡
※①〔 艱難 (かんなん) :困難にであって苦しみ悩むこと 〕
※②〔 杖木瓦石(じょうもくがしゃく):杖や木で打たれ瓦や石を投げつけられること 〕
※③〔 開顕 (かいけん) :隠されている真実を 開き顕すこと 〕
※④〔 但行礼拝(たんぎょうれいはい):「ただただあなたの仏性を拝みます」 〕