10月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。
今月は、『「苦悩」と「苦労」』というテーマを、
① 悩むことは大事 ・・・
② 「大いなる苦労人」に ・・・ の2段落でご解説いただいた。
まず、『悩むことは大事』の段落では、
人は誰でも、できれば悩んだり苦しんだりしたくないと思っています。
しかし、どんなに幸せそうに見える人でも、悩みごとの一つや二つは抱えているのではないか。
たくさん悩んで苦労を重ねたことが、のちのその人の大きな心の財産になっているというケースをよく見聞きします。
開祖さまも子の病という苦悩が宗教とのご縁となり、法華経との出会いになった。
そう考えると、「悩むからこそ、いろいろな教えを求め、どう生きることが大切なのかを真剣に考える」といえそうです。
『「大いなる苦労人」に』の段落に入ると、
釈尊は、「一切皆苦」ーーーこの世のものごとはすべて苦であると教えてくださっています。
そして開祖さまは、「この真実をしっかりと見つめ直し、それを腹の底に据え直すことが、何よりも大切」で、
「そうすれば、苦境というものは、なにも特別なものではなく、人生にとって、ごく当たり前のことだということがわかってくる」
「苦境を特別な状態だと考えるからこそ、苦しく感じたり、それを予測して不安におびえたりする」と喝破されておられます。
しかし、どうにもならないことだとわかっていても、それを何とかしたいと悩み苦しみ、悶々とした日々を送ることの少なくない私たちです。
そこで、会長先生は、同じ苦しい状態でも、漢字の「苦悩」と「苦労」の違いに触れられ、「悩」は「心を乱す、思いわずらう」という意味、「労」は「つとめや仕事の疲れや骨折り」をさし、そこには問題を一歩前に進める「動き」がある。 それは、「冷暖自知」に通じる経験になる。
昔から「苦労人」というと、数々の逆境に逢いながら、それが血肉となって世間の事情によく通じ、人間としての心や器の大きさが感じられる人をいいます。
よって、悩みや苦しみに直面したときには、体を使って「何かやってみるほうがいい」。 すると「苦悩」が「苦労」に変わる。
「苦悩」を「苦労」に変える精進が大切であるとご指導いただき、釈尊は、すべての人を救いたいと決意され、布教伝道に邁進された「大いなる苦労人」であられ、学ぶべきお手本と締めくくられた。
10月は「入寂会」を迎え、開祖さまも「大いなる苦労人」であられ、私たちをお導き下さいました。
釈尊は、この世に一大事の因縁をもって出現され、その使命は、仏知見の開示悟入でした。
仏知見を身につけるための精進が菩薩行にほかなりませんが、その見方ができるようになると、ふれる「苦」と思われるご縁を「苦悩」とするか、「苦労」とするかの見方に大きく影響を与えます。
四諦の法門の「苦諦」では、「苦(四苦八苦)」から逃げかくれすることなく、それを直視せよと教えられています。
私たちも、開祖さま、会長先生に倣い「大いなる苦労人」に一歩でも近づけるよう、今月も精進させていただきましょう。
合掌
※<三法印(四法印)>
諸行無常
涅槃寂静(苦労)← →(苦悩)一切皆苦
諸法無我
※<四苦八苦>
生 ・ 老 ・ 病 ・ 死 (四苦)
(おんぞうえく)(あいべつりく) (ぐふとっく) (ごうんじょうく)
怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡