2月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。
今月は、『 人生を 厳粛なものに 』というテーマを
〇 厳粛に生きるとは ・・・
〇 心のスイッチを入れる ・・・ の2段落でご解説いただいた。
まず、《 厳粛に生きるとは 》の段落では、
そもそも一人ひとりの一生は、「生まれる・老いる・病む・死ぬ」のどこをとってみても厳粛以外の何ものでもありません。意識していないだけで、私たちはみな厳粛な人生を歩んでいるのです。
そうすると、そのことを明らかに知る、真理を自覚して生きることが、人生を厳粛なものにする鍵といえそうです。
「厳粛」を辞書で引くと「おごそかで心が引き締まるさま」とあり、ある方はきわめてわかりやすく「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれ、1日を、1時間を、そしていま目の前の1分1秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。
そのように捉えると心に余裕が生まれますから、気持ちもゆったりと落ち着いて穏やかになり、まわりの人とも仲よく、楽しくすごせ、そういう時間の積み重ねが、幸せで、かつ厳粛な人生といえるのでしょう。
一休禅師の道歌「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ」、
あの世に行ってから厳粛になるのではなく、いまこの娑婆ですでに厳粛な人生を歩んでいる真実をかみしめ、1日1日を確かなものにしていきたいものです。
《 心のスイッチを入れる 》の段落では、
教育者の東井義雄先生が、小学校の校長をされていたとき、ある教室に掲げられていた言葉、
「ずいぶん 寒くなったが/いつまでも 寝床の中で/グズグズしていないで/心のスイッチをポンと押して/パッととび起きようではないか/ポンとスイッチを押すと/パッとあかりがともるように/朝起きも ポン・パで行こう」
いまはちょうど一年でいちばん寒い時期ですから、この「ポン・パ」は、いろいろなシーンで活用できそうです。それぞれが苦手とすることに当てはめてみてもいいですし、日常生活のなかで真理を自覚することについても、この「心のスイッチ」は役に立つように思います。
朝、ご宝前にお参りするとき、学校や、職場や、教会道場へ出かけるために家を出るとき、「おはようございます」と人とあいさつをかわすときなど、毎日、何気なく行っていることのどれか一つを「心のスイッチ」を押すきっかけにして、心に「ポン」と「真理の電流」を流し、「きょう一日、出会う人を大切にしよう。時間を有意義に使おう」というような「真理の灯り」を心に「パッ」とともすのです。
「ありがとう」という感謝の言葉も、私たちが「いま・ここに存在する」という厳粛な事実から生まれた「有り難い」を語源とするものであり、真理をかみしめるための「心のスイッチ」にはうってつけといえるでしょう。こうした習慣が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていきます。
入滅される前、釈尊は
「すべては移ろいゆく。怠ることなく精進しなさい」
といい残されました。
涅槃会には、ご自身の死に際して、あらためて無常の法を説き、精進を促された釈尊のお心に思いを寄せてまいりたいと思います。
と、締めくくられた。
1月は、「 自灯明 ・ 法灯明 」の心構えをいただきました。
この教えも釈尊ご入滅前のお説法でありますが、いよいよご入滅される際のお言葉が、上記の『 無常観 』であります。
2月「 涅槃会 」の今月は、仏教の根本義「 三法印 」(変化と関係)を「 導き ・ 手取り ・ 法座 」の基本信行を通じて、しっかりと自覚を深める精進をさせていただきましょう。
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡