1月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。
まず、平成31(2019)年最初のご法話ですので、今年の指針と受けとめ、かみしめさせていただきたい。
今月は、『 みんな善の根っこをもっている 』というテーマを、
〇 乾いた根に潤いを与える 〇 ほんとうの「正定聚」に の2段落でご解説いただいた。
まず、『 乾いた根に潤いを与える 』の段落では、
これは、若いころ病気に罹[かか]って、生涯その病とつき合っていかなければならないと告げられたある人が聞かせてくれた話です。将来を悲観して自暴自棄になりかけていたとき、その人が信仰の先輩から繰り返し伝えられたのは、「あなたには善根が具わっている」という言葉だったそうです。
ところが、そう励まされているうちに、自分の存在価値を否定する気持ちや、人生に対する悲観的な見方が消えて、「自分も人のために何かしたい、できるのではないか」という心がふつふつとわいてきたというのです。
私たちが読誦する法華三部経[ほっけさんぶきょう]のなかの無量義経[むりょうぎきょう]に、「衆生の諸有[しょう]の善根を潤漬[にんし]し」(徳行品[とくぎょうほん])とあります。善根とは、善い果報をもたらす土台となる根っこのことですが、「だれにも仏と同じ性質が具わり、みんな仏のあらわれである」ということを示す「仏性[ぶっしょう]」と同じ意味あいと、私は受けとめています。ですから、だれもが善根をもっているといえるのです。ただ、その根っこが健やかに育ち、伸びるには、乾いた根に活力を与える潤いが欠かせません。
人生に絶望し、自己否定するばかりの若者にとって、「あなたにはかけがえのない善根があるのですよ」と、自分の根幹を肯定してもらえたことは、まさに、かさかさに乾いていた根に、惜しみなく、たっぷりと潤いが与えられるに等しいことだったはずです。
『 ほんとうの「正定聚」に 』の段落では
無量義経の一節は、先の「善根を潤漬し」のあと、「善の種子[しゅじ]を布いて功徳の田[でん]に遍じ」と続きます。「世のため人のために尽くす行為の本になる、善の種子をたくさん播[ま]こう」 ―― 要するに、「仏の教えを伝えて、自分も人も一緒に幸せになろう」と、「布教伝道[ふきょうでんどう]」を説いているのです。
では、なぜここで「布教伝道」が説かれるのかといえば、理由は一つです。
前述した若者のように、仏の教えを聞いて心の根が潤い、迷いの淵から抜けだしたあとには、「ほかの人も、自分と同じように苦悩から離れ、目の前の幸せに気づいてほしい」という慈悲の心が、とめどなくわきあがるからです。
では、その「布教伝道」のあり方はというと、まず、「身近な人の善き縁になろう」と願って生きることです。人を思いやるやさしい言葉や態度が、苦しむ人の乾いた心の根に潤いをあたえるのですから。
そのうえで、私たちは読経供養や仏さまの教えの習学など日々の基本信行を実践しつつ、仏教に縁のない人の手をとっていく。それが、先の経文の結びとなる「普[あまね]く一切をして菩提の萌[め]を発[おこ]さしむ」という最高の生き方につながるのです。
このようにして、みんなが「仏さまのようになりたい」と決意した仲間 ―― ほんとうの意味の「正定聚[しょうじょうじゅ]」になることを前提に、私の大学の恩師が「布教なくして宗教なし」といわれました。私たちは、救いを求めるすべての人にとって、いつでも心安らぐ「正定聚」でありたいと思います。
と、締めくくられた。
今年は元号も改まり、名実ともに新たな年が始まります。教会も発足55周年を迎え、この姫路の地に仏さまの教えを、幹部一同、一丸となって「布教伝道」させていただく心構えを、細かく、丁寧にご指導いただいたと、深く感謝申し上げ、まず、一人ひとりの信者さんを大切に手取りさせていただくことを誓願いたします。
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡