令和2年10月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、文末に感じたことを書かせていただきます。
今月は、『心が変われば、生き方が変わる』というテーマを、
○ みんな同じ仏の弟子、○ 「信じる」ということ
の2段落でご解説いただいた。
まず、『みんな同じ仏の弟子』の段落では、
先月号の本誌で、釈尊と仏弟子の話をご紹介しました。
あらためて申しあげれば、物覚えの悪さから人にさげすまれ、卑屈になっていたチューラパンタカ(周利槃特)が、釈尊のお言葉を素直に信じて実践した結果、「心の塵を払う」ことが大事だと悟って、生き方が一変した話です。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」(ウィリアム・ジェームズ)という、人間の本質をついた名言があります。まるで、先の話を参考にしたかのような言葉ですが、心が変われば生き方が変わり、それは運命、すなわち「めぐりあわせ」も変えるというのです。
言葉を換えれば「縁(えん)」が変わるということですが、それは、チューラパンタカのように大事なことに気づいて心が定まると、縁の受けとめ方が変わって、不都合な縁であっても生かしていくことができるということでしょう。
さて、では私たちの場合はどうでしょうか――といわれただけで、「難しくて、とても自分にはできない」と卑屈に思ってしまう人もいるかもしれません。しかし、私たちもまた、チューラパンタカと同じく、仏の教えをいただく仏弟子であることを忘れてはいけません。いにしえの仏弟子と同様に、悩んだり苦しんだりするなかで仏の教えに出会い、大事なことに気づかせていただいた私たちなのです。
ですから、目先の欲に流されないとか、感情にまかせて怒らないとか、ものごとの変化をありのまま受けとめるなど、人により、場合によって「心の塵」の払い方はいろいろあると思いますが、仏の教えを素直に信じて、行じていけば、おのずと運命が変わっていくのだと思います。
『「信じる」ということ』の段落では
仏の教えを信じて行じるといいましたが、それが大事だとわかっていても、私たちはときおり心がぐらついて、教えの軌道(きどう)を外れ、自己中心の言動に走ってしまいます。
その原因は、教えを「信じて」というところにあるかもしれません。開祖さまは、「信仰は、ただやみくもに信ずるというのではなく、真理にめざめて信ずる」ことだといっています。つまり、ただ信じればいいのが信仰ではなくて、諸行無常(しょぎょうむじょう)や諸法無我(しょほうむが)、縁起(えんぎ)の教えといった「真理(真実の道理)・仏法」を学んだら、それに照らしてものごとを見たり考えたりするという、「智慧(ちえ)」に根ざした生活を送ることが、「仏の教えを信じる」ことであり、「信仰」なのです。
ちなみに「信心」というのは、私たち人間が仏と同じものを具(そな)えていることを「信じる心」のことです。ですから、仏を信じる、釈尊を信じるというのは、人間そのものを信じ、まわりの人の仏性(ぶっしょう)を素直に信じることを意味します。
そのように考えると、教えを信じて行じることの基本は、いま目の前にいる人を信じて尊(とうと)ぶことに尽きる、といえるのではないでしょうか。
ところで、法華経の「分別功徳品(ふんべつくどくほん)」に、「仏の寿命の長遠(じょうおん)是の如くなるを聞いて、乃至能(ないしよ)く一念の信解(しんげ)を生ぜば、所得(しょとく)の功徳限量(くどくげんりょう)あることなけん」とあります。これまでにもたびたび述べてきたことですが、私たちが仏とともに永遠のいのちを生きていることや、みんな仏性なのだということを、たとえ一瞬でも信じて、「なるほど」と思ったら、それだけで計り知れない功徳があるというのです。
もう、みなさんおわかりでしょうが、たとえば、だれもが仏と同じいのちを生きる仏性のあらわれなのだ、ということが腑(ふ)に落ちると、人との接し方や言葉の受けとめ方が変わらないでしょうか。心の据(す)え方一つで、いつでも仏と同じ大きな心で楽々と生きられる人生が開けるのです。
と、締めくくられた。
「如来寿量品」の説法によって、仏の寿命は無量であり、仏はつねにこの世におられて、あらゆる場所において一切の人間を導いてくださっていることを知った衆生は,自分らはつねに仏に生かされ、守られ、導かれているという確信を得て深い喜びを味わうことができました。
この本ではその喜びの心の功徳を十二段階に分別してお説きになられ、また、要点として「在世の四信」(釈尊ご在世中の信仰のありかた)、「滅後の五品」(末世における信仰の在り方)を説かれ、ご法話では「在世の四信」1.一念信解、2略解言趣、3.広為他説、4.深信観成 の最初の”一念信解”をお示しいただきました。そして、私たちは、「滅後の五品」で示される1.初随喜、2.読誦、3.説法、4.兼行六度、5.正行六度を実践させていただくことをお誓いさせて頂きましょう。
(※法華経の新しい解釈 P.468~483 参照)
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡