令和3年3月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、文末に感じたことを書かせていただきます。
今月は、『信じて任せる心』というテーマを、
○ 仏の立場で見る、○ 釈尊の信託と創立の願い
の2段落でご解説いただいた。
まず、『仏の立場で見る』の段落では、
「出替(でがわり)の笑いにふくむなみだかな」(松岡青蘿(まつおかせいら))という句があります。「出替(り)」とは、いまでいう人事異動のようなものですが、そこで生まれる悲喜(ひき)こもごもの様子は、江戸の昔も現代もあまり変わりがないようです。
春先になると、企業など多くの組織で人事が話題になります。もちろん本会にも、時期は違うものの定期的に人事異動がありますが、本会では、行政機関に見られるような人事委員会を設けて行なっています。なぜなら、限られた人、たとえば私なら私が一人で人事を担当したりすると、そこに私情が入りこみかねないからです。
私たちは、だれもが凡夫(ぼんぷ)の心をもっています。人の好き嫌いに左右されたり、噂や偏見に基づくレッテルを貼って人を評価したりしがちです。しかし、それでは仏の立場で人を見ることにはなりません。「悉有仏性(しつうぶっしょう)」―― 生きとし生けるものはみな、仏と同じ本質を具(そな)えていると学びながら、凡夫の視点にとどまってしまうのは、信心がそこにまで至っていないということです。
また、もし私たちが、何かしらのレッテルを貼ってだれかを見ているとしたら、そのレッテルと同じものが自分にもあると省みることも大切です。「あの人は卑怯者(ひきょうもの)だ」と見る自分にも、卑怯な一面があるということです。
法華経(ほけきょう)の「嘱累品(ぞくるいほん)」では、「みんなが幸せになれるよう、どうかみなさんに法華経の教えを伝えてください。よろしく頼みますよ」と仏が菩薩(ぼさつ)に託しますが、人事に限らず、どのようなときも、仏が菩薩を見るように人を見て信頼できたら、どれほど心が安らぐことでしょう。信じて任せきる仏のように、人を見ることができる、信じられるというのは、それだけで大きな功徳(くどく)をいただいているのです。
『釈尊の信託と創立の願い』の段落では
高齢者を狙った詐欺(さぎ)犯罪などが世間を騒がせる時代ですから、「悉有仏性だから」といって、だれかれなく信用できるわけではないかもしれません。その意味では、せめて「自分」は嘘をついたり人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)したりしないで、人びととたくさんの「信」をはぐくんでいきたいものです。「信」という字は「人(ひと)」と「言(こと)」の組みあわせでできていますが、人の言葉は「心のあらわれ」なので、「マコトを意味する」と、私は学びました。言葉の「言」は「命」のことで、「宇宙、神、仏の命が言葉となってあらわれている」ともあり、そのような言葉を人と交わすのは、お互いに相手を信じているからだといいます。
誠意をもって言葉を発することは、人を信じることや、信じられる人になることにもつながる大切なことです。いかにも当たり前のことですが、それがなかなかできない私たちであると、自戒(じかい)をこめて思わせられます。
信じて任せるといえば、私たちは日々、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目(だいもく)を唱えています。これは、「すべての人が仏となり、幸せになれることを信じて、神仏のはからいにお任せします」と誓っていることにほかなりません。浄土宗の藤井実応(ふじいじつおう)師は、「まかせたる身は安らかで力強い。きょうもアミダの中にともどもに、明るく生きてゆこう」といわれていますが、題目の意味あいに藤井師のこの言葉を重ねると、どのような時代や環境にあっても「明るく生きていこう」という気概(きがい)が湧(わ)いてくるのではないでしょうか。
また本会では、創立以来、「入会者即布教者」を信条としてきました。それも、みんなの幸せを願う釈尊(しゃくそん)からの信託(しんたく)であり、会員のみなさんなら大丈夫という開祖さまの信任によるものです。まずは、前向きに心をととのえ、神仏や人との絆(きずな)を結ぶ「信」を深めてまいりましょう。
と、締めくくられた。
今月は、人事異動にことよせて、人の評価のあり方を、凡夫の“人の好き嫌いや、噂や偏見に基づくもの”ではなく、「悉有仏性」という、仏の立場で人を見れる信心を身に付けることの大切さと、「悉有仏性」だからといって、だれかれなく信用するということではなく、せめて「自分」は嘘をついたり、人を誹謗中傷したりしないで、たくさんの「信」をはぐくむことの精進の大切さを教えて頂きました。「嘱累品」の教えから「すべての人が仏となり、幸せになっていただく」ための実践を釈尊より信託され、開祖さまからも、みなさんなら大丈夫と信任していただいています。
創立記念月を迎え、83年前に開祖さまによって、「私が教団を創立したのは、現実に人を救い、世を立て直そうという熱意のゆえであり、そのためには法華経にこめられた真の仏教精神をひろめるほかにない」という確信を持って教団が創立されました。私たち一人一人がその開祖さまの願いと信任、釈尊の信託にお応えすべく、しっかりと精進させて頂きましょう。
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡