令和3年6月度 教会長のお話

 令和3年6月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、文末に感じたことを書かせていただきます。

 今月は、『 観音さまを念ずる 』というテーマを、

 ○ 自分の可能性を自覚する、○ すべての人を救いたい、という願いの2段落でご解説いただいた。

 まず、『自分の可能性を自覚する』の段落では、

 法華経(ほけきょう)の「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぽん)」は、「観音経(かんのんきょう)」とも呼ばれて、たくさんの人に親しまれています。そのわけは、私たちが苦悩するとき、一心に観音さまを念ずれば、観音さまはすぐにその声を聞き届け、救ってくださる、という教えに勇気をもらい、観音さまを信じて慕(した)う人が多いからでありましょう。ただ、それだけを聞くと、神仏にご利益(りやく)を願う信仰のようですが、観音さまを念ずることが仏の教えと真剣に向きあうきっかけになるのだとしたら、それも信仰の入り口として尊重すべきものだと思います。

 とはいえ、私は、観音経は単に念ずれば救われる、助かると教えるものではないと受けとめています。なぜなら、「観世音菩薩普門品」が法華経のなかの教えだからです。観音経には、法華経の精神がこめられているからです。

 その一つが、自らの可能性を自覚することの大切さです。「観音妙智力(みょうちりき)」という言葉があります。私たちも毎日、読経供養(どきょうくよう)の際に「観音妙智(みょうち)の力(ちから) 能(よ)く世間(せけん)の苦(く)を救(すく)う」と読誦(どくじゅ)するこの言葉の意味あいを、開祖さまは「苦難に会ったときにはねかえす内面的な力、かえってその苦難から栄養をとって成長する不可思議(ふかしぎ)な心の力」と説明しています。

 苦しみの底から立ち上がり、その苦を糧(かて)に成長できる底力(そこじから)が私たちにはあって、それが「観音妙智力」だというのです。詩人の山尾三省(やまおさんせい)氏は、私たちに内在する根源(こんげん)の生命力を念ずるのが、観音の力を念ずることだといいます。

 つまり、観音さまとは自分自身のことにほかならず、そのような自己の可能性を信じ、内なる観音の力を信じて一心に念じるとき、私たちの心には安心感とともに気力が湧(わ)いてくる ―― それが、苦から救われるということなのです。

 『すべての人を救いたい、という願い』の段落では

 私たちは、たとえば苦しみのなかで絶望しかけたとき、ふと「永遠につづく苦しみはない」と気づいて肚(はら)が据(す)わったり、孤独感にさいなまれて死を念(おも)う衝動(しょうどう)にかられたときに、愛情をもって見守ってくれた人を思いだして生きる力を得たりすることがあります。それは、いわば諸行無常(しょぎょうむじょう)や諸法無我(しょほうむが)などの真理に目ざめ、新たな人生が開かれた瞬間です。たとえ、そのときそれが仏の教えとわからなくても、自分に具(そな)わる智慧(ちえ)の力(妙智力)によって、自ら立ち上がることができたということに間違いはないでしょう。

 ほんとうに苦しいとき、すがるような思いで「観音さま、助けてください」と念ずる人があるかもしれません。しかし、それでもいいのです。現世利益(げんせりやく)を願う祈りであっても、観音さまを一心に念ずる素直な心と、内なる観音とが一つになったとき、自分本来の力がはたらくのですから。

 その意味では、「方便即真実(ほうべんそくしんじつ)」という言葉がありますが、観音さまの力という方便をとおして、「仏性(ぶっしょう)が自覚できればだれもが必ず救われる、自由自在な世界が開ける」という真実を教えているのが観音経といえるのです。

 また観音経には、観世音菩薩がさまざまな手立てをもって人びとを苦難から救うことが繰り返し説かれていますが、それもまた、「すべての人を救いたい」という観音さまと同じ心が私たちにもあることに気づかせる、一つの方便ではないでしょうか。そして、観音さまを念ずることで、あたかも千手(せんじゅ)観音のように、「千の手を差し伸べてでも人びとに幸せや安らぎを与えたい」と願う心があることに気づいたならば、こんどは自分が一人の菩薩となって実践にふみだす。その大切さを、観音経は説き示しているのです。

 地蔵(じぞう)菩薩に常不軽(じょうふきょう)菩薩……と、観音さまに限らず、自分がめざす菩薩としての歩み方は人それぞれでしょうが、次号ではその菩薩の実践についてふれたいと思います。

 と、締めくくられた。

 法華経は「自覚の教え」といわれています。方便品で、仏さまが悟られた真理は「諸法実相」と表明され、それを人間に当てはめると、どのような人もその奥には仏性(仏になれる可能性)を具えているという意味であり、方便品から授学無学人記品までは、開三顕一の法門として、仏性の自覚を促されています。そして、法師品で“法師の自覚”に立ち、仏さまの衆生教化のお手伝いをする決定をし、五種法師や安楽行などの行法を通じて、本尊観に至ります。本仏の願いは一切衆生の救済でありますから、人さまの悩み、苦しみ、迷いから救い出す実践が究極の菩薩行であり、流通分(23番以降)に登場する菩薩さま方はその菩薩行を具体的に実践された私たちのお手本です。そして、お手本としての代表が観世音菩薩さまで、その教化力の偉大さで、観音信仰とまで慕われるほどであります。特に、「すべての人を救いたい」との願いから「普門示現」を実践され、その時のお心は「大悲代受苦」のお心でした、我々はそのお徳を賛嘆するとともに、それをお手本に、「観音妙智の力」を発揮できるよう観音さまを念じて、信者さんの救護に取り組ませて頂きましょう。

合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡