令和3年9月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、文末に感じたことを書かせていただきます。
今月は、『善い縁を結ぶために』というテーマを、
○ 最高のご縁とは ○ 心の姿勢が大事
の2段落でご解説いただいた。
まず、『最高のご縁とは』の段落では、
私たちは日々、さまざまなご縁のなかで生きています。縁によって生かされている、といってもいいでしょう。人との出会い、ものごととの出会い、そして家族との会話一つも、そのときのタイミングが生みだす縁によるものです。
そうした縁の一つ一つが、いつでも善いものであってほしい、喜ばしいものであってほしいと、私たちは願います。
しかし、そう都合よくいかないのが私たちの人生です。とくに人とのご縁では、いやなことや不都合なことが起きると、とたんにその出会いは善縁(ぜんえん)と感じられなくなります。
神道(しんとう)の黒住教(くろずみきょう)を開かれた黒住宗忠(むねただ)という方は、何につけ「善悪ともに天命(てんめい)と思えば、少しも苦にならない」といわれ、「何事も有(あり)がたひにて世にすめば むかふものごと有がたひなり」と示されています。つまり、この世のはたらきはすべて天命であり神仏のはからいなので、めぐりあう縁に善いも悪いもなく、自分中心の見方をしなければ、何もかもが必要あって出会う有り難い縁だということです。
そして、そうした縁をとおして真理を学び、受けとることができたら、それこそが「善い縁を結ぶ」ことの本来の意味だと思います。仏教徒であれば、仏の教えを伝えるご縁がそれに当たります。すると、すでにサンガに連なる私たちは、最高の善縁に恵まれた幸せ者といえそうです。
『心の姿勢が大事』の段落では
ところで、私たちはどうして善い縁を望むのでしょうか。
漠然(ばくぜん)と「そのほうが幸せだから」と思う人も多いでしょうが、仏の教えからすると、私たちは仏性(ぶっしょう)そのものとして生まれてきたからです。それが、善い縁を結びたいと願う根源的(こんげんてき)な理由です。すべてが調和した円満な状態を、私たちの心はつねに求めているのです。
そのような私たちが、つい顔をのぞかせる自分勝手な思いに負けないで、出会う人やものごとをいつでも善い縁にしていくポイントは、そのご縁が何を教えているのかを「学ぶ」姿勢と、そのことで気づいた点を「省(かえり)みる」ことです。仏は、あらゆるかたちで教えを説き、真理を示していますから、人やできごととの出会いのなかにあるお諭(さと)しをキャッチすることで、すべてが善縁となるのです。
また、法華経(ほけきょう)の「妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)」は、子が親を仏の教えに導く説話ですが、ここでは親である妙荘厳王が、立場や体面(たいめん)にとらわれないで「柔軟(にゅうなん)」に子の進言(しんげん)を聞き入れ、「謙虚」な気持ちで仏道修行に励む姿勢が描かれています。
開祖さまは、善い縁をつくるには「まず人さまを拝(おが)むこと」と示され、自分を高く見せようとする小我(しょうが)を捨てると、善い縁となるふれあいが生まれるともいっています。心一つで、わが子が人生の師ともなる善縁が展開するのです。子どもからの指摘を柔軟に受け入れられない「頑固(がんこ)おやじ」には耳が痛い話ですが、わがままが出がちな家族だからこそ、日々、善い縁を繰り返す心の姿勢が大切なのだと、自戒(じかい)しています。
今月10日に「報恩会(ほうおんえ)」を迎える脇祖さまは、「人の気持ちをよくくんでものごとにあたったらなら、どんな人とでも円満におつきあいできる」といって、つねに人を思いやることを忘れず、「人さまを救うのは、まごころが第一」と語ったとおり、慈悲(じひ)に徹する姿勢を貫(つらぬ)きました。病(やまい)の問屋といわれるほどの病苦や、貧しい暮らしのなかで味わった悲しみから、「善い縁は、まごころが結ぶ」という真実を体験的に学ばれたのだと思います。
では、いま私たちのまわりで苦悩にあえぐ人の求めに、私たちはどう応(こた)えたらいいのでしょうか、――大事なご縁を見逃しているのかもしれません。
と、締めくくられた。
今年、会長先生は、「年頭法話」で斉家を強調されました。幼少年・青年を健全育成する拠点は、家庭。斉家で大きな役割を果たすのが親の姿勢である。斉家のポイントは、まず、親である私たちが「ご宝前を中心にした生活」「三つの実践」の基本を身に付けることとご指導いただきました。これは、下半期への精進の姿勢でもありますが、「妙荘厳王」の姿勢から、立場や体面にとらわれないで「柔軟」に子の進言を聞き入れ、「謙虚」な気持ちで仏道修行に励む姿を学び、私たちも出会うすべてのご縁が、何を教えているのかを「学び」、そのことで気づいた点を「省みる」ことですべてが善縁となるよう、三つの基本信行を繰り返し精進させて頂き、いま私たちのまわりで苦悩にあえぐ人の求めに、そのご縁から真理を通して何を学ぶのかを一緒に考え、乗り越えていく触れ合いを、心配行として取り組ませていただきましょう。
合掌
立正佼成会 姫路教会
たかとし
教会長 吉 田 高 聡